桜島火山の噴火史

鹿児島大学・理学部・助教授  小林哲夫


1.はじめに

 桜島火山は姶良カルデラの南縁に生じた後カルデラ火山であり,地形上は北岳と南岳(中岳を含む)が重なった火山のように見えます.南岳は現在も爆発を続けており,日本で最も活動的な火山として知られています.現在の噴火のスタイルはブルカノ式噴火と呼ばれており,激しい爆発音や空振を伴い,黒い噴煙を数1000メートルの上空にふきあげるのが特徴です.このタイプの噴火は昭和30年(1955)に始まり,現在までに7400 回を上回る爆発が記録されています.桜島火山はこのタイプの噴火以外にも大規模な噴火(多量の軽石を噴出するプリニー式噴火)を繰り返してきています.今回は桜島のこれまでの噴火の歴史を振り返り,現在の噴火の特徴についても考察します.

2.噴火史の概要

 噴火の歴史は主に大規模噴火によるテフラ(降下軽石)の分布を調べることにより明らかにされます.テフラは島内だけでなく,対岸の大隅半島にも広く分布しています.

 第1図は島内と大隅半島におけるテフラの産状を示しています.桜島火山起源のテフラ(降下軽石)は全部で17層が識別されており,最上位の大正軽石(1914年)をP1とし,最も古いテフラをP17と呼んでいます.桜島島内ではP11より古いテフラは観察できませんが,大隅半島では最下位のP17まで確認できます.

第1図:桜島島内と大隅半島における桜島テフラ群の対比

 第2図は模式的に表したテフラの柱状図であり,表1はテフラの噴火年代を意味する14C年代値です.これらのデータを総合した結果,桜島火山の発達史は古期北岳,新期北岳,南岳の3つのステージに区分できることが判明しました.

 古期北岳の活動は23,000年前に始まり,21,000年前までの比較的短期間でした.次の新期北岳の活動は薩摩テフラ(P14)の噴出から始まるため,その間には約1万年にもおよぶ休止期間が存在したようです.なお新期北岳の活動が始まる前には,高野ベースサージが噴出しています.安永噴火で誕生した新島を構成する新島火砕流堆積物と類似した化学組成をもち,桜島とは別の火口から噴出した姶良カルデラ起源のテフラと考えられています.

 新期北岳の時期には,薩摩テフラ(P14)からP5まで10回の軽石噴火を行い,約3500年前には活動を停止したと考えられています.この間に,桜島火山以外の火山からの火山灰が飛来し,桜島テフラ層の間に挟在しています.その代表例は鬼界カルデラ起源のアカホヤ火山灰(K-Ah, 6.5ka)であり,米丸スコリア(Ynm)や池田湖テフラ(Ik)も保存状態の良い場所では見つけることができます.

 南岳は約3500年前以降に北岳の山腹に生じた成層火山であり,歴史時代に発生した大規模噴火は,山腹〜山麓に新たに生じた割れ目火口からの噴火でした.なお桜島火山のマグマの組成は,北岳・南岳ともすべて安山岩〜デイサイトです.


3.大規模噴火

 3-1.先史時代の大規模噴火

 桜島火山が噴出したテフラで最も大規模なものはP14(11km3)であり, P13(1.3km3)がそれに次いでいます.P14は他とは桁違いの大きさであり,南九州の本土だけでなく,鬼界カルデラや種子島にまで分布しています.また鹿児島市付近を中心に,推定噴火地点から10kmの範囲内にはベースサージが到達しています.またその次の噴火によるテフラ(P13)は,上野原遺跡において住居跡を被覆していたことで注目をあびましたが,その噴火年代は9200〜9400年前(14C年代)で,暦年代に換算すると約1万300〜1万600年前に相当します.

 P11噴火の直前には,蒲生町の米丸,住吉池マールの噴火による玄武岩質のテフラ(Ynm)が薄く堆積しています.新期北岳の最後の軽石噴火はP5であり,この時にはk岳の山麓の全方向に火砕流が流下しました.

 3-2.歴史時代の大噴火

 桜島火山の噴火記録は和銅元年(708)が最古であり,その後,多数の記録が残されています.そのなかで大噴火として扱われてきたのは,大正噴火(1914),安永噴火(1779),文明噴火(1476?)であり,これらは3大噴火と呼ばれてきました.1200年前の天平宝字噴火(764)も,最近では大規模噴火の1つとして認知されるようになりました.それらテフラは新しい方からP1〜P4と呼ばれています.

 このタイプの噴火では,まず大規模な軽石の噴出に始まり,最後は溶岩の流出で終わるという特徴的なパターンを示しています.1946年にも昭和溶岩を流出した噴火がありましたが,この時にはプリニー式噴火を伴っていないため,大規模噴火には含めてありません.

 第3図には歴史時代に流出した溶岩の分布を示してあります. 以下に噴火の記録が詳細に残されている新しい時代の噴火から順に,噴火の状況を解説していきます.

第3図:歴史時代の溶岩流の分布図(鍋山を含む).

 1)大正噴火(1914)

 噴火に先行する火山性の地震は数日前から発生していました.1月11日の早朝からは地震が群発するようになり,住民の不安はピークに達していました.そして1月12日,午前10時頃,ついに噴火が始まりました.最初は西側の山腹で噴煙があがり,次いで東側山腹でも噴火が始まりました.噴煙は8,000m以上の上空にまで達し,その状態は1日以上続きました.その日の夜(18:29),鹿児島市側でM7.1の地震が発生し,35名余もの死者がでました.13日の午後からはやや噴火の勢いが衰えだしましたが,その夜半(20:14),西側火口では再び大噴火がおこり,火砕流が発生し,西側の海岸にまで到達しました.溶岩はこの噴火の後に流出し始めました.15日にもやや大きな火砕流が数回発生しました.西側火口ではその後も小爆発を繰返しましたが,約2週間後の1月26日頃にはほぼ鎮静化しました.

 一方,東側火口は風下側であったため,噴火の詳細はわかっていません.しかし14日の朝には溶岩の流出が確認されています.約2週間後の1月29日(〜2月1日)には海峡を埋め立てた溶岩により,桜島は大隅半島と陸つづきとなりました.溶岩を流出する活動は,その後1年以上も続きました.翌1915年3〜4月には溶岩末端崖から二次溶岩が流れ出し,溶岩三角州を形成しました. 噴出したマグマの総量が約1.5km3と膨大であったため,噴火後には姶良カルデラを中心に,ほぼ同心円状の沈降がおこり,鹿児島市付近でも30〜50cmほどの沈降が観測されました.

 大正噴火では58名もの死者が報告されていますが,そのなかには噴火の最中に発生した地震(M7.1)による死者35名余が含まれており,噴火による直接の死者は,噴火の規模の割りには少ないといえます.これは噴火に先立つ激しい前兆地震に恐れをなして,住民の多くが自主的に避難を始めていたことも一因となっています.

 2)安永噴火(1779)

 噴火に先立つ11月7日夕方より地震が頻発し,8日には有村の海岸の井戸から熱水が吹き出し,また海水が紫色に変色しました.同日,11時ごろ,南岳山頂付近から白煙があがり,14時ごろ,南岳の南側の山腹から噴火が始まりました.その後北東山腹でも噴火が始まり,翌朝まで軽石を放出する激しい噴火が続きました.噴火の比較的早期に火砕流が発生し,翌9日には溶岩の流出が始まりました.

 溶岩は数日後には海岸に到達しましたが,北東側の沖合いではその後も海底噴火が続き,約1年の間に8個の島が誕生しました.それらは安永諸島と呼ばれ,現在でも4島が残っています.その中では5番目に誕生した新島(燃島)が最も大きな島です.

 噴火開始から約10ヶ月たった1980年の8月ごろ(六番島の誕生後)から,北東側沖合いでの爆発が顕著になり,津波が発生するようになりました. 1981年の春にも規模の大きな爆発・津波が発生しました.海底での爆発は1982年の1月まで記録されています.

 噴火後の周辺地域の地盤の沈降も顕著でした.鹿児島湾の奥では2m以上沈降したものと推定されています.また鹿児島の城下でも,高潮の時には洪水のようになり,なかなか水が引かなかったそうです.

 死者は153名であり,島の南〜南東海岸の集落に集中しており,降下軽石や火砕流の分布域とほぼ一致しています.また海底爆発による津波で船が転覆したりして,十数人の死者・行方不明者がでたようです.

 3)文明噴火(1471~76)

 文明噴火は活動が5年間にわたり,溶岩は1471,1475,1476年に噴出したとの記録があります.このなかでは1476年の記録が最も詳細であり,信憑性が高いと思われます.それ以外の噴火については記録としての信憑性に問題があるようです.そのため,文明噴火の詳しい推移については,現在でも把握しきれていません.

 文明噴火は歴史時代では最も激しい軽石噴火であり,火砕流も発生しています.初期の軽石噴火の火口は北東側の斜面にのみ生じ,対の火口は出現しませんでした.しかし溶岩は北東と南西の山腹に生じた対の火口から流出しています.噴出した膨大な軽石のため,北岳の地形が一変したほどの大噴火でした.

 文明噴火のまえ,約700年間は噴火の記録が残されていません.この間,霧島火山や開聞岳では多くの噴火が記録されていることから,桜島火山では実際に噴火がなかったと考えるのが自然ではないでしょうか.

 4)天平宝字噴火(764)

 天平宝字噴火は三島が出現したとの記述があることから,以前は海底噴火とみなされてきました.しかし原典である続日本紀には,海底噴火との記述はみられません(第4図).

第4図:続日本紀における天平宝字八年十二月の記事とその解説(日本噴火志)

 続日本紀の記述と地質現象を詳細に検討した結果,噴火地点は南東山麓の海岸であり,鍋山が出現し,その前面に長崎鼻溶岩が流出したことが推定されました.

 第5図は大正溶岩に埋積される前の鍋山周辺の地形図です.鍋山は水蒸気マグマ噴火に特有な火砕丘(タフリング)の形態をしていますが,当時の海岸に出現した火山体のため,東半分は波食のため欠如しています.溶岩はタフリングの火口より東側の火道から流出し,当時の海を埋め立てています.

第5図:大正噴火(1914年)以前の桜島南島部の地形図(明治35年測図,大日本帝国陸地測量部)

 西暦764年の噴火という推定は,テフラの 14C年代(Okuno et al., 1998)と溶岩の岩石磁気の研究(味喜,1999)からも支持され,ほぼ確定的となりました.古文書に三島の出現とあるのは,当時の海岸に出現した鍋山,長崎鼻溶岩,浜島一帯(現在は昭和溶岩に覆われています)を指しているのかもしれません.噴火の1年半後には激しい群発地震が発生し,多くの島民が避難しています.



 3-3.噴出量の長期的変化

 第6図は表1に基づいて作成した大規模噴火の年代と噴出量を積算した「階段ダイアグラム」です(Okuno, 1997).この図から,P14が極端に大きいこと,またP3以降の最近500年間は非常に活動的な時期に相当することがわかります.

第6図:降下軽石の階段ダイアグラム(Okuno, 1997)


4.ブルカノ式噴火

 4-1.先史時代におけるブルカノ式噴火

 南岳の現在の噴火のスタイルはブルカノ式噴火であり,砂〜シルトサイズのテフラを広域に降らせ,その堆積物は砂質のテフラ,すなわち火山砂の特徴を示しています.このようなテフラは,南岳が成長した時期にも,より大規模に噴出していることがわかっています.第1図のP4の下位にある火山砂がそれです.

 第7図の柱状図は北岳の北東斜面における火山砂の柱状図です.火山砂は全体で約4mの厚さがあり,腐植層により9層に区分できます.このうち第4,5,8層は地層全体が腐植質であり,特に第4層が顕著です.このような火山砂は,現在の桜島火山のように,長期にわたる断続的な噴火活動によって形成されたものです.一回ごとの降灰量は植生を枯らすほど激しくはないのですが,火山灰と下草や落ち葉などが,長い年月の間に少しずつ集積していったものと考えられています.

第7図:火山砂の柱状図(左)と全体の分布図(右)

 火山砂は多くのユニットからなりますが,薄くなると各ユニットの識別が難しくなります.それゆえ火山砂全体を一つの地層としてとらえ,等層厚線図を描いたのが第7図の分布図です.火山砂は南岳を中心として,四方に,ほぼ同心円状に分布しています.このように多くのユニットからなり,また全体として一つの火口を中心とした等層厚線が描け,かつそれが火山体を構成する溶岩と互層するということは,この火山砂は南岳が成長しつつある時期に集積したものであることを強く示唆しています.


 4-2.現在のブルカノ式噴火の地質学的な意味

 火山体がある高度に達した後,さらに高さを増すためには,山頂火口から溶岩を流出し,それらが火口周辺に積み重なっていかなくてはなりません.もし山頂火口の高さ以上にマグマを持ち上げる能力がない場合には,たとえ活動期であってもマグマは溶岩としては流出できず,火道中でガス圧が高まり爆発的な噴火を繰り返すようになります.このような噴火が長期間続けば,山麓には厚い腐植質の火山砂が形成されることになります.

 南岳は3500年前に誕生した新しい火山ですが,歴史時代の天平宝字噴火(764年)から大正噴火までは,山腹での大噴火を繰り返してきました.それ故,現在の山頂での噴火活動は1,200 年よりも前と同じ活動形態であり,ほぼ成長し尽くした火山体における,新たな活動期の噴火現象と考えることができます.

 現在の南岳は北岳とほぼ同じ高さにまで達しており,今後多量のマグマを放出しても,もはやこれ以上高度を増すことは難しいのかもしれません.ただし火山砂の産状を考慮すると,南岳はこれまでにも数次にわたり段階的に成長したと考えられており,今後も何らかの原因でマグマの供給量が急増し,山頂火口から多量の溶岩が流出することがあるのかもしれません.


5.おわりに

 桜島火山の噴火史の概略を解説し,あわせて南岳の現在の山頂噴火の意義についても考察しました.大噴火としてはP1〜P17までが知られていますが,そのうちの新しい4層は歴史時代,すなわち大正(1914),安永(1779),文明(1476?),天平宝字(764)の噴火の産物です.

 南岳の現在の活動様式は,ブルカノ式噴火で特徴づけられ,溶岩は流出していません.この様な噴火活動は火山体が一定の高度に達した後の活動期に生じやすいことが推定されました.このような活動の継続期間は,数年から数百にわたるものまで変化に富んでいるものと思われます.それ故,南岳の現在の活動が今後とも続くのか,または終息に向かうのか,あるいは溶岩を流出し新たな火山体形成期の活動となるのか,現時点で判断するのは困難です.


引用文献

味喜大介(1999)火山,44,111-122.

Okuno, M. (1997) 名古屋大学博士論文,61pp.

Okuno, M., Nakamura, T., and Kobayashi, T. (1998)

Radiocarbon, 40, 825-832.




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2002年1月,日本火山学会: kazan@eri.u- tokyo.ac.jp